長生術を初めて知った人が最も「?」となりやすいのが、プラーナ療法だと思います。
長生学園では、プラーナをサンスクリット語の「気」「生命力」に相当する概念として説明しています。
さらに長生医学では、健康な人から病気で悩む人へプラーナが伝わると考え、患部に手を当てて状態を把握したり、「良くなれ」と念じる「正思念」とともに治療へ応用するとしています。
これだけ聞くと、
「気功みたいなもの?」
「手から何か特殊なエネルギーを出すの?」
と思うかもしれません。
私も最初はそうでした。
プラーナを西洋医学的にどう考えるか
当然ですが、「プラーナ」という名称の生命エネルギーが存在し、それが施術者の手から患者さんへ移動することが、西洋医学的に証明されているわけではありません。
では、長生で教わるプラーナ療法は、西洋医学を学んできた立場から見るとまったく意味のない概念なのでしょうか。
私は、そうとも思っていません。
むしろ長生術を学んでいく中で、
「治療効果を発揮しやすい条件を、施術者側からできるだけ整えていく」という考え方
として捉えると、非常に興味深いものに見えてきました。
私が入学当初の考察では、この部分を「プラセボ効果を発揮しやすい状態に自分自身を持っていくこと」と表現していました。
現在なら、もう少し広く「治療に伴う文脈効果(contextual effects)を最大限プラスに働かせること」と表現したほうが適切だと思っています。
「プラセボ=気のせい」ではない
ここでいうプラセボ効果は、
本当は何も起きていないのに、本人が効いたと思い込んでいるだけ
という意味ではありません。
人が治療を受けるときには、実際に身体へ加えられる刺激だけでなく、
以下などの多くの情報が同時に脳へ入力されます。
- 「良くなりそうだ」という期待
- 過去の治療経験
- 施術者への信頼
- どのような説明を受けたか
- どのような環境で治療を受けたか
- 施術者の表情や言葉、態度
- 実際に触れられたときの心地よさ
そして、こうした「治療を取り巻く文脈」そのものが、痛みなどの知覚に影響することが分かっています。
特に疼痛領域では、「この治療によって痛みが軽くなる」という期待だけでも、脳内の疼痛調節に関係するシステムが変化することがあります。
実験では、鎮痛への期待によってμオピオイド受容体を介した内因性オピオイド系の活動が変化し、それとともに疼痛評価が低下することも確認されています。
つまり、
「良くなると思っていること」が、脳を介して身体反応へ影響すること自体は、決してスピリチュアルな現象ではない
ということです。
もちろん、だからといって「プラーナの存在が科学的に証明された」という話にはなりません。
私が言いたいのは、
長生でプラーナという言葉を使って説明されている現象の中には、現代医学の「期待」「条件づけ」「文脈効果」「治療者―患者関係」「疼痛調節」といった概念で説明可能な部分が含まれているのではないか
ということです。
私がプラーナを考えるときに重視している4つの要素
では実際の施術場面で、どのような条件が「プラーナが伝わる」と表現される状態につながるのでしょうか。
私なりに整理すると、大きく4つあります。
- 相手を良くしたいという施術者の意識
- 患者さんとの信頼関係
- 自分の施術に対する迷いの少ない一貫した態度
- 触れただけで安心感や心地よさを与えられるほど熟達した「施術家の手」
①相手を良くしたいという施術者の意識
「良くなってほしいと思いながら触ると治療効果が上がる」
とだけ書くと、かなり精神論に聞こえます。
しかし、もう少し細かく考えてみると、それほど不思議な話ではありません。
目の前の患者さんを本当に良くしたいと思って施術している人は、以下といった行動を自然に取りやすくなります。
〇相手の反応をよく観察する
〇痛がっていないか細かく確認する
〇身体の変化に注意を向ける
〇雑に触らない
〇手を離す瞬間まで丁寧に扱う
〇声のかけ方にも配慮する
反対に、
〇「今日は疲れたな」
〇「早く終わらないかな」
と考えながら機械的に身体を押していれば、その違いは触れ方や間の取り方、声の調子などに表れます。
つまり「気持ちが手に乗る」という長生独特の表現も、
精神状態が施術者の身体運動やコミュニケーションへ反映され、それを患者さんが知覚している
と考えれば、西洋医学的にもそれほど奇妙な話ではありません。
「相手を良くしたいと念じれば、未知のエネルギーが手から放出される」
と考える必要はありません。
少なくとも、施術者の意識によって実際の施術行動が変わり、その違いが患者さんへ伝わるという部分は十分理解できます。
②患者さんとの信頼関係
次に重要なのが、患者さんとの信頼関係です。
同じ場所を、同じ強さで、同じ時間だけ触られたとしても、
「この人なら身体を任せられる」
と思っている相手から触られる場合と、
「この人、大丈夫かな?」
と思っている相手から触られる場合では、受け手の感覚は同じではありません。
疼痛研究でも、治療者との良好な関係性は単なる「接客」の問題ではなく、疼痛や治療結果へ影響し得る文脈因子として研究されています。
また、
「以前この先生に治してもらった」
「この施術を受けると楽になる」
という経験が繰り返されれば、過去の経験そのものが次回の治療に対する期待につながります。
これは学習や条件づけという観点からも説明できます。
③自分の施術に対する「確信の強さ」
『自身の施術に対する「確信の強さ」』と記載しましたが、
以前は、もっと極端に、
『「自身の施術・価値観が絶対的に正しいのだ」という圧倒的なまでの先入観・自信
』
と考察していました。
言いたかったこと自体は、今でも変わっていません。
施術者自身が、
「これをやっても意味がないかもしれない……」
と迷いながら施術する場合と、
「この人には、この刺激が必要だ」
と自信を持って施術する場合では、声、触れ方、身体の使い方、患者さんへの説明まで変わってきます。
そして治療に対する期待が疼痛反応へ影響し得ること自体は、現在では神経生理学的にも説明されている現象です。
ただし、ここには重要な注意点があります。
「自信を持つこと」と「自分の考えを絶対視すること」は同じではありません。
根拠のない説明まで断言したり、患者さんに誤った情報を伝えたりすることを正当化してはいけません。
施術中は迷いなく患者さんへ向き合う。
しかし一歩臨床から離れれば、
「自分の考えは間違っているかもしれない」
と批判的に検討する。
私は、この両方を持っていることが施術家には必要だと思っています。
これは一見矛盾しているようですが、臨床家として非常に重要なバランスです。
④熟達した「施術家の手」
そして、プラーナを考えるうえで私が特に重要だと思っているのが、
触れただけで「この人は上手い」と感じてもらえるほどに出来上がった施術家の手
です。
マッサージを受け慣れている人なら、触れられて比較的早い段階で、
「この人は上手そうだ」
「何となく安心して身体を預けられる」
と感じた経験があるのではないでしょうか。
これは単なるプラセボだけではありません。
実際に皮膚へ加わる、
〇接触面積
〇圧
〇圧の変化速度
〇手掌の密着
〇温度
〇振幅
〇リズム
などは、すべて身体へ入力される感覚刺激です。
長生術では、この触れ方をかなり重視します。
手掌全体を身体へ密着させ、相手を「把握」し、そこへ心地よい振幅を加えていく。
つまり長生におけるプラーナは、少なくとも実際の施術場面では、
「気持ち」だけではなく、熟達した触圧覚刺激とセットになって表現されている
ように私には感じられます。
この具体的な手技については、後述する「特徴④ 独自の軟部組織アプローチ」で詳しく説明します。
では、結局プラーナとは何なのか?
ここまでをまとめると、私はプラーナを、
「特殊なエネルギーが存在するかどうか」という一点だけでは捉えていません。
西洋医学的な視点から分解すれば、
- 期待
- 過去の経験・条件づけ
- 治療に対する信念
- 施術者に対する信頼
- 施術者自身の自信や集中
- 言語・非言語コミュニケーション
- 心地よい触圧覚刺激
- 密着・把握・振幅・リズム
などが複合して、治療体験そのものを構成していると考えています。
そして、それらによって生じる効果の一部は、現代医学では「プラセボ効果」あるいは、より広く「文脈効果」と呼ばれて研究されています。
プラセボ鎮痛については、期待や学習といった心理過程だけでなく、内因性オピオイド系など実際の神経生物学的変化を伴うことも示されています。
したがって私自身は、
長生でいう「プラーナ」をそのまま西洋医学で証明しようとするのではなく、プラーナと表現されてきた治療現象を、西洋医学で説明できる要素へ一つずつ分解して考えてみる
という立場を取っています。
そうすると、一見するとスピリチュアルに見えるプラーナ療法の中にも、現代の疼痛科学や徒手療法と接続できる部分がかなり見えてきます。
同時に、すべてを「プラセボだから」で片づけるのも違うと思います。
長生術には実際の触圧覚刺激や関節運動という物理的な入力もあり、その上に期待、信頼、安心感、施術者の態度などの文脈が重なっています。
私は、この「身体への刺激」と「治療を取り巻く文脈」を分離せず、一つの施術として扱おうとしているところに、プラーナ療法の面白さがあると感じています。
そして、この考えは次の「精神療法」と強くつながっています。